六月博多座 昼の部

博多座の昼の部に行ってまいりました。

今月は成駒屋さん・八代目中村芝翫さんと三人の息子さんの襲名披露公演です。

お昼の4演目のうち出演されるのは『車引』と『河内山』です。

『車引』は歌舞伎の三大義太夫狂言のひとつである『菅原伝授手習鑑』全五段のうちの三段目の一部で、舞台の華やかさや型の美しさから、一月の初春公演や京都の顔見世、また今回のような襲名披露で上演されることが多い演目です。菅原道真に仕えていた四郎九郎を父に持ち、権力争いに巻き込まれ敵味方に分かれてしまった梅王丸・松王丸・桜丸という三兄弟のお話です。

私の初歌舞伎である中村勘三郎さんの襲名披露公演も、昼の部はこの『車引』から始まりました。ちなみにそのときの三兄弟は海老蔵さん・勘九郎さん(当時は勘太郎さん)・七之助さんという豪華配役なのですが、当時歌舞伎の知識ゼロだった私にそのありがたみが分かるはずもなく、かなりあとになってから、もっとしっかりと目に焼き付けておけばよかったと悔やんでしまいました。

もうひとつの『河内山』は4年前、中村勘九郎さんの襲名公演の際に片岡仁左衛門さんで観たことがあります。河内山宗俊という悪だくみにたけたお坊さんが、お金目当てに大名屋敷に閉じ込められた質屋の娘を救い出すという物語です。

何度か観るとセリフもわかり、難しい話ではないこともわかるのですが、派手な演出があるわけでもなく、ゆっくりと進むお芝居です。この日の客席には高校生の団体さんがいて、イヤホンガイドをつけてはいるようでしたが、この中の何人がまた歌舞伎を観たいと思ってくれるでしょう。どうか一人でも多くの人がまた歌舞伎を観てくれますように。

 

じつは今月の博多座のチラシにはあらすじがありません。通常劇場に置いてある無料のチラシの裏面にはあらすじが書いてあり、それに目を通しておくだけでもお芝居の理解度がかなり違ってきます。筋書(パンフレット)を購入したり、イヤホンガイドを借りることもあるのですが、セリフやストーリーがわかりやすそうな世話物や新歌舞伎などは、目の前のお芝居に集中して自分の力でいろんなことを感じ取りたいと思うことがあります。そんなときにチラシは大事な手掛かりになることがあります。

ちなにみ今月のチラシは襲名される4人の紹介となっています。これももちろん嬉しいことではあるのですが、願わくば2種類用意していただけるとたいへんありがたいのですが...。

休演日⁉

歌舞伎座七月の詳細が発表になりましたね。

当初は中村獅童さんが出演予定だったため、演目を含めいろいろと変更になったようですね。話題になっているのはなんといっても海老蔵さんのご長男・堀越勸玄くんの出演、そして宙乗りでしょう。海老蔵さんの真似をして五右衛門のセリフを覚えたり、隈取を真似てお姉ちゃんと一緒にお顔に絵を描いたりしている姿が可愛くて、よくブログを拝見しています。初お目見えも生で観ることができなかったので、ぜひ今回は行きたいのですが、私自身の今後の予定次第、今のところはまだ未定です。

海老蔵さんのブログにもありましたが、この七月歌舞伎、なんと休演日があるのですね!通常歌舞伎は約25日間の昼夜2回公演でお休みはありません。役者さんによってはほとんどすべての演目に出演されることもあるので、文字通り“命を懸けて”やってくださっています。歌舞伎は400年以上の歴史があり、その伝統やしきたりを守ることはもちろんたいせつですが、この先もずっと残していくためには少しづつ変えていくべきこともあると思います。歌舞伎を知ってたかが10年ほどの私が言うことではないのでしょうが、この2回の休みが役者さんやそれに携わるスタッフの方にとってはその先の5年、10年に繋がることかもしれません。私のように地方に住んでいる方の中には、“たまたま東京に行く用事があるからこの機会に初めての歌舞伎座に行ってみようと思っていたのに休演日に当たってしまった”ということもあるかもしれませんが、大好きな歌舞伎がこの先もずっとずっと続いていくように、未来に繋がる新しい試みを歓迎したいと思います。

 

 

 

八月納涼歌舞伎

歌舞伎座の八月の演目が発表されました。

通常は昼・夜の二部制ですが、今回は三部制でチケット代も通常より少しお安くなっています。

長い間歌舞伎座では八月公演は行われていませんでした。それが1990年に当時35歳の中村勘九郎さん(のちの十八代勘三郎)、坂東八十助さん(のちの三津五郎)を中心に、若手が活躍できる公演を、と始まったのがこの納涼歌舞伎です。第一回には今では勘九郎さんに引き継がれ、中村屋の代表作となった『怪談乳房榎』や、今年はなんと勘太郎くんが務めることで注目の『団子売』などが並んでいました。

二回目以降も若手が大役を務める場であり、初めて歌舞伎を観る人にもわかりやすい演目が並んでいます。現在の新春浅草歌舞伎と似ているのかもしれませんね。

 

じつは今までなかなか8月は歌舞伎座へ行けなかったのですが、今年は歌舞伎未体験の友人を誘って、必ず行こうと今から気合いを入れています。少しでも歌舞伎に興味を持ってくれるとうれしいのですが…。

 

 

魔法の粉

昨日は十八代中村勘三郎さんのお誕生日だったため、私が実際に観た舞台について振り返ってみました。そのせいか、夜なかなか寝つけずにいると、金銀の光のようなものが降ってきたような不思議な感覚に襲われました。何だろうと目を開けてみても、特別変わった様子はありません。気のせいかと思い目を閉じようとすると、今度は光とも粉とも知れないようなものが降ってくるのが見えたよう気がしました。

そのとき私の頭に浮かんだのは勘三郎さんのことでした。過去のインタビューで十七代勘三郎さんのことを"父の芸はお客さんに魔法の粉を撒いちゃうような、そんな芝居"と語られています。また市川猿之助さんにも"あんたは舞台に出た途端、お客様に魔法の粉をかけるんだ"。そしてその猿之助さんのことを、"俺に似てる"と勘九郎さんに話されていたそうです。ここ数年猿之助さんに魔法の粉をかけてもらっている私ですが、十八代勘三郎さんこそが、初めて魔法の粉をかけてくれた人です。

こんなことを考え続けさらに眠れなくなったため、先日テレビで放送され録画したままだった『研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)』を見ることにしました。2005年5月の襲名公演の夜の部で上演されたものです。脚本・演出は野田秀樹さんです。

私は野田さんのお芝居を観たことがないので、何の予備知識もなく見始めたのですが、かなりの衝撃を受けました。

町人から侍になったものの、侍の生き方に否定的な辰次という男の話。侍たちに馬鹿にされたため、脅かすだけのつもりで仕組んだいたずら。それに驚いた相手が脳卒中で死んでしまう。その死に方を恥だと思う家来たちは死を辰次のせいにしてしまう。辰次を親の仇だと思い込んだ息子たちは、辰次を追って仇討の旅に出る。

というような話なのですが、ところどころに歌舞伎の型は出てくるものの台詞は現代語。とにかくスピーディーで当時のギャグがあったり、敵討ちに来た二人の息子(市川染五郎さん・中村勘太郎さん)に向かって役ではない本当の昔話をしたりと爆笑に次ぐ爆笑でした。

私はたいへん楽しめましたが、昔からの歌舞伎通にはどうだったのでしょう。批判も多かったのではないでしょうか。襲名披露にこの演目を選ぶところが勘三郎さんなのでしょうね。

 

 

勘三郎さま

今日5月30日は十八代中村勘三郎さんのお誕生日です。私が観たいくつかの舞台を振り返ってみたいと思います。

 

2005年3月に歌舞伎座で始まった襲名披露公演、5月の昼の部は下記の四演目

  • 車引
  • 芋堀長者
  • 弥栄芝居賑
  • 髪結新三

 勘三郎さんの出演は下の二つ。なので私の初勘三郎さんは『弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい)』です。もともとは京都で始まった歌舞伎ですが、1624年江戸中橋に初代猿若勘三郎猿若座の櫓をあげたのが江戸歌舞伎の始まりです。勘三郎三代目からは中村勘三郎と名乗り、以降猿若座中村座となったそうです。

 この演目は舞台を芝居小屋に見立て、人気役者が揃いの衣装で襲名の祝いに駆け付けるというものです。通常は花道は下手側にしかないのですが、このときは上手側にも造られており、立役(男役)と女形に分かれてずらりと両側に並び、お祝いをするという豪華なものでした。

 この翌年6月がようやく博多座での襲名披露でした。私が観たのは夜の部、口上と『弁天小僧』の二つ。博多座で観た勘三郎さんはこの一度きりです。

 じつは2011年3月に、九州新幹線開業記念として出演が予定されていたのですが、ご病気のため休演となってしまいました。ですが代役を務められた勘九郎さん(当時はまだ勘太郎さんでしたが)の『夏祭浪花鑑』は素晴らしかったです。今後また観る機会もあるでしょうからここで詳しくは書きませんが。

 博多座のあと何度か歌舞伎座に行く機会がありました。印象に残っているのは改装前のさよなら公演、2010年4月の『助六』の通人里暁です。この役はわりと自由にアドリブも入れやすい役だとは思うのですが、勘三郎さんは特別でした。この日も客席の大爆笑を誘い、“しばしのお別れ”と言いながら花道を去っていく姿は今でも私の心に深く刻まれています。

 その翌年2011年11月には平成中村座に行くことができました。ご病気から復帰されての『お祭り』です。昔の芝居小屋を再現したような小さな中村座、その上その日はそれまでで一番舞台に近い席で観たということもあり、表情まではっきりと見えました。大向こうさんの“待ってました!”の声に涙を浮かべておられた姿がとても印象に残っています。

 

 勘三郎さんに導かれるように観始めた歌舞伎。今では私の人生に寄り添ってくれる大切なものとなりました。その楽しさが一人でも多くの人に伝わりますように。

 

 

 

 

 

愛する博多座

博多座は1999年6月に開場しました。歌舞伎だけでなくミュージカルやお芝居、近年ではジャニーズの公演や演歌のコンサートなども行われています。歌舞伎座と同じくらいの花道や舞台下の奈落、宙乗り機能もあるため市川猿翁さんが“スーパー歌舞伎座”と言われたとか。

舞台と同じサイズのリハーサル室や大浴場(出演者用です)なども備えているそうで、出演した多くの役者さんが“大好きな博多座”と言ってくださるのを聞くと、自分のことのようにうれしくなります。

もちろん観客向けの設備も充実しています。地下鉄駅に直結しているため、福岡空港からも博多駅からも雨に濡れることはありません。ロッカーは客席階すべてにあり、使用後にはお金が戻ってきますので、取り忘れないように!お弁当やお菓子、公演に関連したグッズの販売も多いので、休憩時間も安心です。

今までいくつもの劇場に行きましたが、ステージは見やすく、上演時間以外でも快適に過ごせる博多座は大好きな劇場です。福岡在住にもかかわらずまだ行ったことがないという方は、ぜひ一度行って見てください。特別な時間を過ごすことができると思います。

 

本日5月29日は船乗り込みが開催されました。

船乗り込みとは:

例年2月と6月は歌舞伎が上演されます。6月歌舞伎の出演者が“ご当地到着を船に乗ってお披露目する”のが船乗り込みです。キャナルシティ博多という商業施設横の清流公園から、博多座に隣接した博多リバレインまでの約800mを船で下るというものです。

今では博多に夏の訪れを告げる風物詩となりました。

ちなみに、もともと博多とは福岡市を流れる那珂川の東側を指し、西側を福岡といいました。今では“福岡市“とひとくくりになっていますが、博多座があるのは東側なので“博多”です。

 

 

初歌舞伎の記憶

初めての歌舞伎はあまりに突然だったため、何の準備も心構えもありませんでした。

通常劇場にはその月の公演の無料のチラシが置いてあり、演目とあらすじ・出演者などが書いてあるのですが、そのなものがあることすら知りませんでした。

 

かなり後になってその月の演目は確認できたのですが、その日覚えた演目は『髪結新三(かみゆいしんざ)』ひとつだけでした。中村勘三郎さんの当たり役といわれるこの『髪結新三』、亡くなられたあとテレビで見る機会がありました。出演者はほとんど違いましたが、改めて見ると面白さがよくわかりした。

主人公の新三・タイトル通りの髪結いなのですが、腕には刺青があり裏の顔を持っています。人の好い忠七とその恋仲のお熊を上手く丸め込んで大金を手に入れようとたくらむ新三。騙されたと知り川に身投げしようとする忠七、それを助けた弥太五郎源七という男が新三の元へやってきます。この辺りの顔役・親分なのですが、結局新三にやり込められて帰って行きます。さらには新三の長屋の大家である長兵衛が来て知恵比べのようなやり取りが続きます。

 

髪結いから徐々に、忠七→弥太五郎源七→長兵衛を相手に次々と悪の本性を現していくのですが、どこか愛嬌があってかっこよくて、色気すら感じました。

 

いずれ勘九郎さんで観てみたいです。

 

 《初めての歌舞伎、または演目を観るとき》

 有料ですがイヤホンガイドというものを借りられますので、予習をしていなくても大丈夫です。お芝居に合わせて役柄や役者の名前、時代背景などをわかりやすく解説してくれますし、観たことがある演目であっても新たな発見があることもあります。興味のある方は一度使ってみてください。