30年後に向けて

 私の地元にある博多座は歌舞伎をはじめ宝塚やミュージカル、ジャニーズの公演などさまざまなジャンルの公演ができる珍しい劇場です。毎年2月と6月には必ず歌舞伎が上演されます。それ以外にも、例えば昨年の4月には『ワンピース』があり、秋にも歌舞伎が上演されることもあるのですが、残念ながら今年はありません。事情があって今は遠征もできないので、しばらく歌舞伎から遠ざかってしまっています。

 歌舞伎に限らず、私自身この半年ほどいろいろなことが止まってしまったような状況が続いていました。そんな中でもなんとか少しでも前に進もうと、今月から着物の着付けを習い始めました。じつは20年近く前に一度習ったことがあるのですが、その教室を修了してからたった一度しか着物を着ることがなく、すっかり忘れてしまいました。その頃から歌舞伎を観ていれば着る機会もあったのかもしれませんが、私が歌舞伎に出合ったのは12年前、着付け教室から8年ほどたってからでした。

 12年前にでもすぐに思い立てばよかったのでしょうがそうは思わず、なぜかここ1,2年ほど無性にまた着物が着たいと思い始めました。それでも仕事の関係で、毎週同じ曜日や時間を確保することが難しかったのですが、今は時間ができました。しかも家のすぐ近くで約3ヶ月の教室が開催されると知り、迷わず受講することにしました。

以前の教室はクラスの人数が多く、また専用の小物をいろいろ買わなければなかったのですが、今回は少人数、しかも特別な道具や小物もいらないので、今の私には合っている気がします。今やっと2回のレッスンが終わったところですが、以前とは方法が違うとはいえ、習ったことを全く覚えていない自分をふがいなく感じて落ち込むばかりです。

 でも今回は目標があります!20年後も30年後もかっこよく着物を着て歌舞伎を観に行きたいので、しっかりと身に着けたいと思っています。人生を豊かにしてくれる歌舞伎に感謝です!!

 

 

右近ルフィ

猿之助さんの怪我から1週間がたち、“代役”尾上右近さんの評判が目に入ってくるようになりました。

たしかに猿之助さんの代役ではあるのですが、怪我の前日にすでに若手中心の『麦わらの挑戦編』の幕があいています。そのことを知らずに“代役代役”と呼ぶ報道に、違和感を感じていたファンの方も多かったのではないでしょうか。

ようやく先日、今回の右近さんの役目を正しく伝え、その上で右近ルフィに拍手を送ってくれる記事を目にし、とても嬉しく思っています。

私がいつ尾上右近さんを認識したのか、定かではないのですが、最初に印象に残ったのは6年ほど前に観た『身替座禅』の侍女役の美しさだった気がします。

その後いくつかの舞台で拝見し、前回の『ワンピース』博多座でのサディちゃん役ではずいぶん楽しませてもらいました。でもそれ以上に私の心を捉えたのは、昨年7月の歌舞伎座『柳影澤蛍火』でのおさめの方でした。

まわりは海老蔵さん、猿之助さんはじめ、それ以上の大先輩の中に、ただ一人若い右近さんが入っていました。海老蔵さん演じる柳澤吉保は、許嫁であるおさめを将軍に差し出すことで出世していきます。

初めは吉保を一途に想う可愛らしいおさめが、利用されたとわかってもなお吉保のために強くしたたかな女性になっていく、哀しくも魅力的なお役でした。

猿之助さんの復帰を待ちつつも、右近さんのルフィを観に行こうと思います。

久しぶりの

六月以来博多では歌舞伎の上演がなく、また諸事情により遠征もできていないので、歌舞伎から遠ざかってしまってます。
何より気になるのは猿之助さんの怪我のことです。全治6ヶ月の重症という報道がありましたが、その後周りの方々のブログなどを拝見していると、もっと早く戻ってきてくださるのではないかと感じています。
怪我の翌日にも今回演じていた三役のひとつ・シャンクスだけでも出たい!と言われていてそうです。さすがにこれはドクターストップがかかったようですが、千穐楽までには本当に出てきてくれるかもしれませんね。
歌舞伎座1月2月にもお名前がありました。これが本格復帰となるのでしょうか。くれぐれも無理はなさらないようにと祈りつつ、どうしても期待してしまいます。
そんな中少しでも歌舞伎に触れようと、シネマ歌舞伎『四谷怪談』を観てきました。私はこの作品を一度も観たことがありません。串田和美さんの他の作品の知識もないまま、映画館に向かいました。そして、かなりの衝撃を受けてしまいました!!
江戸時代と現代が交錯する不思議な世界。ホラーはおろか、心理サスペンスさえも苦手な私ですが、すっかり独特の世界観に引き込まれてしまいました。役者さんも、ただただ素晴らしかったです!悪い男を演じる獅童さんは色気があって魅力的ですが、今回はとくに目が離せない凄味がありました。それに扇雀さんと七之助さん、見ていて苦しくなるほどでした。
いつかまた舞台での上演があれば、必ず観に行こうと思います。

残念ながら…

 歌舞伎座は明日が千穐楽ですね。大好きな猿之助さん大奮闘の納涼歌舞伎、ずっと行こうと思っていたのですが、諸事情により行くことができませんでした。しばらく生の舞台を観に行く予定もありません。

その代わりというわけではないのですが、WOWOWで放送された『野田版・鼠小僧』を拝見しました。2003年に上演された、シネマ歌舞伎第1作です。

まだ40代の勘三郎さん、身体能力の高さとスピード感、そしてセリフ量、すっかり釘づけとなりました。

この作品には当時まだ20歳ぐらいの中村七之助さんも出ているのですが、よく通る声とその美しい姿は多くの出演者の中でもとても印象に残ります。

それからもう一人、まだ本名で出ている中村鶴松さんが、とても重要な役目を果たしています。

私を歌舞伎へと導いてくれた勘三郎さん。あと何十年も観続けたかったという気持ちはいつまでも消えませんが、勘九郎さんをはじめ、中村屋の皆様が活躍してくださっていることを嬉しく思います。個人的には今は少し歌舞伎から遠ざかってしまってますが、必ずまた歌舞伎の旅へと戻ります!

獅童さま

中村獅童さんが仕事復帰されました。

私がその名前を知ったのは、おそらく(観ていませんが)映画『ピンポン』からだと思います。そのあとの映画『阿修羅のごとく』を拝見し、その顔と名前が私の中に刻まれることとなりました。“四姉妹の中で一番目立たない三女の、気の弱い彼”それが獅童さんでした。

歌舞伎では2005年の中村勘三郎さんの襲名公演が、初めての拝見した舞台です。歌舞伎のことを何も知らない私にとって、その日の舞台上で名前を知っている数少ない役者さんの1人でしたが…残念ながらこの日の獅童さんは一幕だけの出演で、あまり記憶には残っていません。

それ以降は何度か博多座で拝見する機会がありましたが、長い間私には一出演者としての認識しかありませんでした。

地元博多座では母と一緒に観ることが多いのですが、いつの頃からか母が獅童さんの名前を口にすることが多くなりました。耳が遠くなり始めた母には、台詞が聞き取れないことが増えてきたようです。そんな中獅童さんの台詞は役柄のせいもあるのかもしれませんが、いつもはっきり聞こえると。

今では獅童さんの代表作となった『瞼の母』は静かに物語が進んでいきます。声を張るような場面はないのですか、それでも台詞は聞き取りやすく、静かに去っていくラストもとても感動的だったのを覚えています。

この10年でお役自体が大きくなっていったこともあるのでしょうが、獅童さんは私の中でいつも確実に印象に残る役者さんとなりました。中でも『怪談乳房榎』の、悪人ではあるけれど、色気たっぷりの磯貝浪江。また、石川五右衛門では、海老蔵さんの強いオーラに少しも負けていない強いワンハン。

私には“観にいく”役者さんが何人かいるのですが、いつしかその出演者の中に獅童さんの名前をみつけることが楽しみのひとつとなっていました。

さてこのたび秋の巡業が発表になり、日帰りできる場所での開催が予定されています。今回は出演者の1人としてではなく、中村獅童を観に行ってみようと思います。


歌舞伎のミカタ

歌舞伎座がものすごく盛り上がっているようですね。海老蔵さん親子の共演とあって、初歌舞伎の方も多いようです。

普段なら大向こうさん(○○屋!という声を掛けてくださる方々です)の声がほとんどなのですが、今月は“カンカン!!かわいい♡”等々の黄色い声援もあるようですね。勸玄くんの台詞を遮るような声もあったとか。(興奮されていたのでしょう、悪気は無かったと思います。)


以前中村勘三郎さんが話されていたのですが、勘三郎さんのお芝居をゲラゲラ笑って観ている子供がいたそうです。“こんなに楽しんでくれてる”と嬉しかったのに、その子は途中で係員さんから外に出されてしまったそうです。勘三郎さんは、“俺の今日の一番のお客だったのに、うるさいとかなんとか言う人がいたんだろうね、悲しいね”とおっしゃっていました。


今月は歌舞伎座に行くことができないので、その声援の凄さは想像することしかできないのですが、2013年12月の歌舞伎座を思い出しました。中村獅童さんがお母様を亡くされた翌日、文字通り降り注ぐような“萬屋!”“獅童!”の声が感動的でさえあったことを、今でもはっきりと覚えています。


長々と書いてきましたが、皆それぞれの楽しみ方で、観に行ってよかったと思えるように。そしてまだ歌舞伎を観たことがない方が、1人でも多く歌舞伎に足を運んでくださることを願っています。





余談ですが、私の大好きな演目『黒塚』を観に行ったとき、月夜の場面で携帯が二回も鳴りました。最低限のマナーは守りましょうね

(>_<)


私ごと

10年以上勤めた会社を辞めました。おそらくすでに人生の半分を過ぎている私が、次を何も決めずに辞めました。好きな業種ではありましたが、仕事そのものはずっと苦手だと感じながら続けてきました。無理をして頑張れば定年まで続いたかもしれませんが、さらにその先の人生を考えたとき、このままでは悔いだらけになる気がして辞めてしまいました。

この仕事を始めた直後に歌舞伎と出会い、地元博多座を始め、歌舞伎座はもちろん南座御園座などいろんな劇場を訪れました。この楽しみがあったから続けてこられたと言っても過言ではありません。年中無休のシフト制だったため、会社の行事や人との休み希望がかぶらない限り、わりと自由に休みを取ることができていたのです。

これから新しい仕事を探さなければなりませんが、やっぱり私には歌舞伎がたいせつです。いつの間にか歌舞伎のない人生は私の人生ではなくなりました。